おいしさへの想い
創業者インタビュー
おいしく、そして健康な食で人々の幸福のために尽くす
創業者・田中晃が、新卒で勤めていた調味料メーカーを辞め、
自ら会社を立ち上げたのは1974年のことでした。
ここから、ユウキ食品の歴史がスタートします。
「食」と「健康」に高い関心を持っていた創業者が目指したのは、
余分なものをできるだけ添加せず、健康でおいしい商品を作ること。
そして人々の食生活を豊かにすることでした。
その信念を持ってユウキ食品のみちをひらいてきた創業者が、
商品づくりや組織づくりにおいて貫いてきたこととは。
生前に行われた貴重なインタビューの内容をお届けします。
一生をかけるテーマとの出会い
ドイツの栄養学研究に感銘
社会人になり初めて勤めたのは、調味料会社でした。仕事は営業でしたが、食に関する知識を蓄えるため、海外の研究事例にもよく触れていました。その中でも興味を惹かれたのはドイツです。健康科学の先進国と言われ、食品に含まれる栄養成分の分析を世界に先駆けて行っていました。当時の日本でそのような取り組みを見聞きする機会はほとんどなく、ドイツの先進性に心から感銘を受けたことをよく覚えています。そして、人々の「食」と「健康」に寄与することが、私の人生における揺るぎないテーマとなりました。
1974年、当時日本ではあまり広く認知されていなかった有機栽培食品にちなみ、「機」を「物事のはじめ」を意味する「紀」に変え、「有紀食品」という社名で起業しました。
世界中で愛される中華調味料で
食品市場に参入
今では世界中の食材や調味料を扱っているユウキ食品ですが、創業時にはもっぱら中華の基礎調味料の製造・販売を行っていました。そもそもなぜ中華を選んだのか。それは、チャイナタウンが世界中の都市に築かれていることからも分かるように、中華は幅広い人々に愛されている食のジャンルだからです。中華調味料を自分たちのブランドで提供できれば、中小企業でも食のマーケットに参入できるチャンスだと考えました。
また、日本にもチャイナタウンはありましたが、本場の料理人が満足できる調味料は日本では手に入らなかったため、多くの料理人が中国からハンドキャリーで調味料を持ち帰っていました。しかし、それではお金も時間もかかる上、安定供給に課題が残ります。こうした背景があり、私たちが豆板醤やガラスープといった基礎調味料を提供するに至ったのです。
同時期に、中華調味料を販売しているメーカーは国内にいくつか存在していましたが、基礎調味料を網羅しているところはありませんでした。豊富な商品ラインナップで棚ごと提案ができるとあって、多くのスーパーから支持をいただきました。また、本格的な味にこだわって開発をしてきたからこそ、業務用のお客様からも厚い信頼を寄せていただきました。
創業期からの商品のパッケージには、赤や金を多用しています。これらの色は縁起が良いとされ、幸運を呼び寄せる意味合いも込められています。暖色系でまとめることで棚を見た時に赤が浮かび上がるようにもしています。
世界の「おいしい」に目を光らせ
オリジナル商品を開発
食品メーカーの根幹というべき製品づくりでは、一貫してユウキならではの味を出すことにこだわってきました。さまざまな角度から世界中の調味料や食材へのアンテナを立て、そこから刺激を受けてオリジナル商品の開発に取り組む姿勢を大切にしてきました。
競合と似たような商品をユウキが素材にこだわって作れば、自然と原価が高くなり、競合との価格競争には勝てません。そこで、オリジナル商品を出し続ける戦略が意味を持つのです。
食の未来と人の幸せを想い描き
「やってみる」姿勢を持ち続ける
オリジナル商品は、ユウキの成長にとって肝となる存在です。「小さく生んで大きく育てる」そうやって新しいことをやり続けないと生きる道はないと昔も今も思っています。
目の前にある課題ばかりに目が向きがちですが、これからの食産業、ひいては人々の生活を考えながら自分たちの在り方を問い続けてほしいです。
ユウキ食品株式会社 創業者
田中 晃Akira Tanaka(1942‐2022)
7人兄妹の次男として生まれる。小学校~中学校時代は家の畑仕事をよく手伝い、高校時代は勉強に没頭、子どもの頃から独立心旺盛で「40歳前に脱サラする」と決めていた。優しい両親から学んだことは「喧嘩をしない」。早稲田大学卒業後、中埜酢店(現・ミツカン)に入社。西ドイツの健康食品を扱う会社を経て、1974年有紀食品を設立。
社長インタビュー
ユウキの強みをさらに磨きアジア市場の「みち」をひらく
2012年の社長就任以来、
先代とは異なる方法で会社の成長を実現してきた田中社長に、
ユウキ食品グループの「今」について、
経営にかける想いやユウキの強み、
今後の展望とそれを実現するためのプランを語っていただきました。
社員の声に耳を澄ます経営で
着実な成長を実現
社長のバトンを引き継いでから、経営体制の見直しと社内の意識改革に取り組んできました。先代の晃は、0から1を生むことが得意で、カリスマ性で人を引っ張っていった人間です。また、あらゆる業務を自分の目で見て意思決定しないと気がすまないワンマン経営者としての一面もありました。私は、0から1を生む経営はできませんが、1だったものを3、4…と大きくすることには長けています。そして、社員の声を広く集め、それを反映して会社の未来を作り上げる経営を目指しています。その一環として、大阪から本社へ異動後、各部門からメンバーを集めて経営企画室を立ち上げたり、全社の重要方針を決める際はトップ層で稟議をかけるようにしたりと、社内の意思決定プロセスを改めました。今では、仮に私が直接判断を下すことができない状況になっても、各部門が状況に応じてすぐに動ける体制ができています。
意識改革の面では、個人に営業ノルマを課さないという先代のポリシーは受け継ぎつつも、各部門に目標値を設定するようにしました。会社は、社員一人ひとりのモチベーションで成り立っています。そして各部門が一致団結して目標を達成できるよう、社員のモチベーションを高めるのは経営の仕事だと考えています。また、昔のように「背中で教える」が通用する時代ではないので、新入社員研修にも力を入れ始めたところです。
売上のさらなる伸長と
企業イメージの浸透を目指して
ユウキ食品は、先代が長年目標としてきた売上高100億円を2019年に達成しました。そして今、次なる目標として売上高200億円を見据えています。ユウキ食品のベースには、確かな商品開発力があります。さまざまな国の文化の味を、国内で受け入れやすいようローカライズした上で輸入・商品化する力です。加えて、大手にはないレスポンスの良さと、市場の中でニッチを探り当てる⽬を持っていることがユウキ⾷品の強みとなっています。大手のようなマーケティングありきの商売をするわけにはいかないからこそ、5手も6手も先を行く商品開発を行い、他社が参画しにくいニッチな領域で着実に売上を積み上げてきました。こうした強みは、私たちがこれからも変わらず磨き続けていくべきものです。その上で、今はユウキという企業のイメージを確立して広めることにも注力しています。商品だけでなく、ユウキ食品自体をもっと多くの人に知ってもらえるようにするのが目標です。
ユウキ食品株式会社 代表取締役社長
田中 秀和Hidekazu Tanaka
1989年、ユウキ⾷品に⼊社。各地に営業所を立ち上げ、営業戦略の強化に取り組み、売上拡大の道筋をつけた。2012年、社長に就任。創業45周年にあたる2019年には売上高100億円を達成。
本物へのこだわり
口にした人が「明日もまた食べたい」と思えるおいしさを目指して
食と健康への情熱を胸に会社を起こした創業者の信念は、
ユウキ食品の商品づくりにおける「こだわり」として
息づくことになります。
一貫しているのは、素材本来の味わいを⼤切にし、
本格的な味とおいしさが感じられる商品を作ること。
ユウキ食品の主力商品として多くの人々に愛用されている
豆板醤やオイスターソース、ガラスープといったアイテムも、
創業当初から今日までそのこだわりを守り続けています。
理想をカタチにするための
原料供給網と製造能力
四川豆板醤に使う唐辛子は、辛味やうま味、コク、色味などのバランスを考え、複数の種類を使用しています。オイスターソースのベースとなるかきエキスは、国内産かきのエキスに加え、国外のかきエキスもブレンドして、より奥深い複雑な味わいを作り出しています※。また、ガラスープのベースとなるチキンエキスも、国内の複数の原料メーカーから仕入れを行っています。さらにかきエキスもチキンエキスも、理想的な風味を実現するため、具体的な加工方法にまで踏み込んで原料メーカーに製造を依頼。これにより、本格的な味とおいしさにとって欠くことのできない原料を、一定の品質で安定的に供給することが可能となっています。
また、工場設備が今のように近代的ではなかった時代から、気温や湿度の変化の影響を受けずに一定の風味、質感、色味の商品を作ることができるよう、社内の製造工程においても長年工夫を重ねてきました。会社の規模拡大に伴って工場や設備が新設されるたび、製造方法を見直し、変わらぬおいしさを守り続けてきたのです。
※国産かきのエキスのみを使用している商品もあり
ユウキ流の商品開発
未知なる“おいしさ”を生むパイオニアとして歩み続ける
ユウキ食品は、すでにある市場を競合と取り合うのではなく、
新商品を絶え間なく発売することで
自ら新市場を作り出す道を選んできました。
「みちをひらく」ための商品開発を担う部⾨には、
創業当時からの理念が変わらず受け継がれており、
その理念に基づく商品が今⽇まで世に送り出されています。
ユウキ食品が見据えているのは、
商品を口にした人々の喜びと幸せです。
ニッチ戦略と多品種展開を徹底
パイオニアとして市場を開拓
2024年現在、ユウキ⾷品が販売している商品は約900品、年間50品以上の新商品を発売しています。豊富な品揃えと数多くの新商品。これを可能にしているのが、広く張り巡らせたアンテナからもたらされる食に関する情報と、企画から開発までをスピーディーに完遂することができる社内体制です。ユウキ食品では、いち早く情報をキャッチし、他社がまだ手がけていない新しい視点から商品を開発します。マーケティングから始まる商品開発を行うことはありません。開発担当者が見つけた、おいしいと思う味や世に広めたいと思う味を商品化につなげています。
商品の人気が出ると、他のメーカーに類似商品で追随され結果的にシェアを奪われることもありますが、「また新しい商品を作ればいい」というのがユウキのスタンス。他社と競争するよりも、自らパイオニアとなって新商品を送り出すことに力を注いでいます。
おいしさが運ぶ楽しさ、豊かさ
商品を通じ団欒の時間を届ける
ユウキ⾷品が⽬指しているのは、商品を⼝にした⼈々の⾷卓が楽しく、⼼豊かなものになること。おいしいものには、人と人を近づけ、人を元気にする力があります。大切な人とともに食卓を囲む団欒の時間を作り出せる商品であるように——。その想いが、ユウキ食品が食のフィールドをひたむきに走り続ける原動力となっています。
終売した幻の商品
常に“新しいおいしさ”を追求してきたユウキも、
個性が強すぎる商品や時代を先取りしすぎてブームになった時には
すでに終売になっていた商品も多くありました。
豆乳シリーズ
ブームを追い風に関連商品を拡大するも……
2000年代前半に第二次豆乳ブームが起こり、健康志向の商品づくりを基本としていたユウキ食品も、使い勝手や保存性に着目した粉末タイプの「豆乳の素」、にがりを加えると豆腐が作れるくらい濃い「豆乳」をはじめ、「発酵豆乳」や「豆乳仕立てのスープ」、粉末タイプの豆乳スープなど豆乳関連商品を次々と開発しました。ユウキならではのこだわりの「豆乳」は、2005年のピーク時に多くの出荷がありましたが、市場に飲みやすい豆乳商品が数多く登場し、濃いだけでは顧客を長くつかむことはできませんでした。そのほかの商品も、視点は独創的かつ魅力的なものでしたが、あまりにも斬新すぎてその価値を十分に伝えることができず、販売の継続を断念するしかありませんでした。
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豆乳
2003年発売→2009年終売
大豆固形分13%以上の国産大豆を100%使用した濃い豆乳。レトルト殺菌を行っており、賞味期間は常温で半年間。BLANCAブランド第1号商品。
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豆乳の素
2003年発売→2019年終売
当時はEC業態も発展途上で、販売はスーパーがメイン。豆乳自体がチルド売場で売られているため、ドライ売場のスペース確保に苦戦し、広がらず……。
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発酵豆乳
2005年発売→2007年終売
無調整豆乳に乳酸菌を加えて発酵させたヨーグルト風味の豆乳。当初の予想に反して、販売は伸びず。少し攻めすぎた商品だったのでしょうか。
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豆乳スープ
2004年発売→2007年終売
激戦区のスープカテゴリーへチャレンジ。コンパクトな箱入り商品が多い中でちょっと大きめな袋タイプ。サイズも影響したのか導入に苦戦し長続きせず……。
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豆乳仕立てのスープ
2006年発売→2008年終売
スパウトで飲むスープという斬新なアイデアで試食の評価は高かったものの売場への導入に至らず、その魅力を広げることはできませんでした。
ノニジュース
2002年発売→2014年終売
自然の恵み100%の健康飲料も味は罰ゲーム?!
免疫力の向上や抗酸化作用、美肌効果などが期待できると言われているノニに、いち早く目を付けて取り扱いを開始。発売当時は、まだ世の中に広く知られていませんでしたが、テレビ番組で罰ゲームに使われると一気に知名度がアップ。社内の試飲会ではその臭いと味に社員一同が圧倒され、商談でもあまりの味にバイヤーを怒らせてしまうこともあるほどインパクトの強い商品でした。
さらに、頬が引きつるほどのすっぱさを持つサジジュースや、草の味がそのまま感じられるウィートグラスなど、ドリンクでもユウキの独創性が光る商品を取り扱っていました。
中華おこげスープ酸辣湯味/ビーフ&チキン味
2006年発売→2010年終売
他社商品との相乗効果で伸びるもブーム後に失速
中華食材のコーパー(おこげ)を販売していたため、より手軽に楽しんでいただけるようにと考え、お湯を注ぐだけのインスタントスープとかけ合わせカップ商品として発売しました。
順調に配荷が進む中、2007年に他社より同商品が発売。PRの影響もあり一時「おこげスープ」ブームとなり伸びましたが、ブームが去った後は右肩下がりに。当社商品にはフリーズドライなどの具材が入っていないことも不利に働きました。
ゴーヤチャンプルセット
2004年5月発売→2005年11月終売
どんなに便利でも見た目が……?
2000年代初頭、沖縄料理への関心が高まり、ゴーヤチャンプルが人気になりましたが、夏野菜であるゴーヤは、当時スーパーで購入できる時期が限られていました。そこで、年中ゴーヤチャンプルを楽しめるように、乾燥ゴーヤと炒めソースをセットにした商品を開発。しかし、ゴーヤの人気は高くても「乾燥ゴーヤを使ってまで」というニーズがそこまでなく、短命で終わりました。あまり食欲をそそる見た目ではなかったため、それがあだになったのかもしれません。
さくらソルト
2010年2月発売→2016年6月終売
季節需要をつかむも継続断念
もともと、抹茶やカレー、梅、ゆず、昆布など、フレーバーソルトを数多く品揃えしていた中で、さらにシリーズを強化するため、「ユウキらしいユニークなフレーバーを」と開発したのが、「さくらソルト」でした。フレーバーソルト自体、その使い方がなかなか浸透せず苦戦が続きました。さくらソルトは3月~4月の桜の時期に原料メーカーを中心に需要が伸びるものの、桜の時期が終わるとほぼゼロに。桜と共に散ってしまった商品です。
ピュアハニー各種
2004年3月発売→2007年3月終売
ニッチすぎてリピートにつながらず
2001年にニュージーランドのマヌカはちみつを販売開始。当時、マヌカへの注目が高まっていたこともあり順調に売上を伸ばしたため、「よりニッチな商品を」という方針のもと、ランブータン・ロンガン・ゴムの木・コーヒーの花から採ったピュアハニーを発売。
その後もフルーツ入り、ローヤルゼリーやプロポリスを入れたマヌカなど、その当時3尺1本の棚の品揃えを目指していました。
金華ハムスープ
1998年発売→2016年終売
「金華ハム」自体の認知不足も
中華調味料・食材専門メーカーとして世界三大ハムの一つである金華ハムを使ったこだわりの濃縮スープを発売しました。2000年には業務用規格のペースト状の金華ハム醤も市場に投入。
高価ゆえに売上金額はまずまずでしたが、原料の回転が鈍く、採算が合わずに終売となりました。
マコーミックジュレドレッシング
2011年10月発売→2015年5月終売
予想以上に売れたことがあだに?!
ジュレポン酢から触発された「ジュレブーム」に乗じて、ジュレタイプのドレッシングを138円という低価格で発売。ロケットスタートを切ったものの、突然の包材欠品により1ヶ月間の販売休止が発生。その間にブームが急速に冷め、キャンセルが続出。そのやわらかい見た目に反し、固く、重い在庫の山となった商品たちです。
マコーミックうにドレッシング
2012年2月発売→2014年8月終売
おいしいけれど奇抜過ぎた
「市場にはない商品を」というユウキならではの奇抜なアイデアから生まれた、高級海産物「うに」のドレッシング。濃厚がゆえにパスタなどにも使えるソースとしての汎用性もありましたが、市場の波には乗れず、海の底へ沈むように終売になってしまいました。